気ままに博物館巡り

訪れた博物館、趣味で見つけた史跡やレトロなもの、古書店で購入した古い文書などについての備忘録。

横須賀港の近くにひっそりと -関東大震災の被災者供養塔-

 

今回は横須賀市汐入町を散策しました。

 

以下について紹介します。

 

関東大震災の被災者供養塔

 

港町公園 - Google マップ

 

まずは京急汐入駅から海沿いへ徒歩5,6分歩いたところ

 

「震災記念閣供養塔入口」という石柱がありました。

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「震災」とは、大正12年(1923)9月1日に関東地方で発生した大地震=いわゆる「関東大震災」を指します。死者・行方不明者数が10万人以上という甚大な被害が出ました。

 

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絵葉書「横須賀大地震 裁判所ヨリ見タル深田」(拙蔵)

↑横須賀もこんな感じで大きな被害を受けました。

 

とりわけ横須賀市街地で被害の大きかった場所とされるのが、現在の汐入町(旧横須賀市港町)でした。

 

井上公夫・蟹江康光・相原延光「関東大震災による横須賀・浦賀地区の土砂災害」(『地理』61-3、2016年)には、汐入の被害について次のようにあります。

海軍基地に面した見晴山の高さ30mの急崖部が長さ440mにわたって地すべり性崩壊を起こし、崩壊土砂量は16万㎥にも達した。崩壊土砂は横須賀駅から海軍基地に向かう県道と海軍工廠内の海軍軍需庫を埋没させ、その間の交通は途絶した。このため、崩壊土砂に巻き込まれて、通行人など50人が死亡・行方不明となった。

 

ちなみにこの記事には、「横須賀市葉山町の土砂災害一覧表」なんていうのも掲載されていて、街歩きの参考にもなります。

 

さっそく、石柱を抜けて公園となっている場所に出て来ました。

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目の前に「大震遭難追善地蔵尊(海軍中将藤原英三郎書)なる碑。

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碑の裏面には「大正十二年九月一日午前十一時五十六分大震 後大正十三年四月廿四日建之」とあります。

 

碑に揮毫した海軍中将藤原英三郎(1872-1949)は、大正12年(1923)当時を含めこの碑が建てられたときに、横須賀海軍工廠長を務めていた方のようです。

 

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大震遭難追善地蔵尊

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「震災供養塔移転並ニ震災記念閣建設会」とあるプレート

プレートは、昭和11年(1936)11月11日付のもので、横須賀市料理待合二業組合(金20円)」、「横須賀芸妓屋組合(金20円)」など、“花街”横須賀らしい文字も。そのほか、「横須賀市役所課長一同(金10円)なんていうのもありました。

 

f:id:ahirokun:20210420131601j:plain地蔵尊の上には、供養塔が。

 

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大震災遭難者供養塔(海軍中将藤原英三郎)

供養塔には次のような記載。

 大正十二年九月一日ノ関東大震災ハ我国未曾有ノ大惨禍ニシテ一夕ニ十萬ノ精霊ヲ失ヘリ 本市モ亦其厄ヲ免レス随所ニ悲惨事ヲ現出シタリ 而シテ其最甚シキヲ當所トス 茲ニ永ク其精霊ヲ弔ハンカ為ニ齋藤仲蔵氏外数氏ノ発願ヲ承継シ 普ク浄財ヲ募リ一萬四千二百三十餘ノ喜捨ヲ得市費ヲ併セテ本塔ヲ建設シ当市ニ於ケル犠牲者五百十七名ヲ追薦ス

             昭和四年九月一日

                  横須賀市長 小栗盛太郎     

 

関東大震災で亡くなった横須賀市域の住民500名が祀られています。もともとは国道16号沿いにあったそうですが、拡張工事のための現在の場所へ移されたそうです。

 

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被災した横須賀市立高等女学校生徒らの慰霊碑

慰霊碑には、横須賀市立高等女学校の生徒(14歳~18歳)、地元汐入や逸見の方をはじめ「駆逐艦矢風 佐藤清助さん(29歳)」、「逸見小学校教員 伊藤俊子さん(21歳)」などの名前がみえます。寄留者でしょうか、なかには千葉県や静岡県の被災者の名前も確認できます。

 

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防空壕

供養塔の裏には、防空壕らしき穴がありました。

 

おわりに

関東大震災というと、東京の被害状況が有名な気がします。

横須賀でも多くの方が亡くなっているんですね。

そういえば、逸見や浦賀などにも被災者の名前を記した碑が建っていました。石碑に歴史を刻むという行為は、永く後世に歴史を伝えようという強い意志です。とはいえ、形あるものはいずれ滅びるわけでして、蛇足ながらここに記して記憶のバックアップをとっていきたいと思います。

 

なお、もっと詳細に横須賀市における関東大震災に関する動向を知りたい場合は、こちらのサイトから参考文献にあたると良いと思います。

関東大震災時の横須賀の状況について、下記の観点から知りたい。1.横須賀の被害状況2.日本の海軍を中心... | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)