気ままに博物館巡り

訪れた博物館、趣味で見つけた史跡やレトロなもの、古書店で購入した古い文書などについての備忘録。

災害関係の史跡&稲むらの火の館(@和歌山県)

和歌山県には災害を後世に残すべく築かれた江戸時代の史跡がたくさんあります。
 
特に嘉永7年[安政元年](1854)11月4日に遠州灘震源とする地震津波により甚大な被害をもたらした「安政地震津波」のものがいくつかありました。

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地震津波心得の記(正面)
まずは、現湯浅町の深専寺にある「大地震津波心得の記」(安政3年(1856)建立)。多くの人が浜辺へ逃げ、津波にのまれて死亡したことを受けて、必ず山へ逃げることなどが記されています。
 
続いて、江戸時代に築かれたという広村堤防。

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広村堤防

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旧広村の海
現広川町の濱口梧陵(1820~1885)が、安政地震津波の際に稲むらに火を放って、この火を目印に村人を誘導しました。その濱口が私費を投じて築かせたという広村堤防は、津波によって職を失った被災民救済の役割も果たしていたそうです。
 

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濱口梧陵をたたえる「感恩碑」
 
広川町では、こうした濱口梧陵の偉業と防災について学ぶ施設として「稲むら火の館」(津波防災教育センターと濱口梧陵記念館により構成)が開館しています。
 

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稲むらの火の館

まずは3Dシアターで、濱口梧陵が如何に地震津波の被害に向き合い、復興を果たしていったのかなどの映像を鑑賞。のち津波防災教育センターで津波地震被害について学び、濱口梧陵記念館で濱口の人となりなどを学ぶ。歴史って本来、こうして後世の人たちに教訓や人生の勘所みたいなものを伝える役割があるんだよなと実感。

 

なお、濱口梧陵こと七代目濱口儀兵衛はヤマサ醤油(銚子)の経営者。江戸時代において、複数の拠点を持って生きる商人(百姓身分)ってどういう仕組みなのでしょうか。気になるところです。
 

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津波による溺死者供養碑

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こんな碑もありました。海とともに生きるということは、恵みを受けるだけではなく、災害とも向き合わなければいけないということを具体的に学びました。